ハンガリーを20年以上に渡って訪れ続けた中で、ハンガリー西部ほどハンガリーの原風景を今にとどめている地域はないのではといつも思ってしまいます。
中でもとりわけバラトン湖周辺(とりわけ北岸側)は今でも伝統的な茅葺屋根の家屋を多く見れるほどに原風景とでも言うべき光景が広がっています。
そんなハンガリー西部の中で今回ご紹介するのはシャルフェルドという小さな村です。
それでは本編どうぞ!
目次
シャルフェルド(Salföld)ってどこ?
ハンガリー西部のシャルフェルド村はバラトン湖にこそ接してはいませんが、ほど近いロケーションにあります。
バラトン湖の北岸側に位置しており、バラトン湖西岸にある主要都市ケストヘイ(Keszthely)からは東へ約33㎞程度です。
以前に紹介したセィグリゲット(Szigliget)よりさらに東へ進むイメージですね。
洞窟カヤッキングが名物なタポルツァ(Tapolca)からだとさらに近く、南東に約13㎞程度です。
シャルフェルドには鉄道が通っていない上、ブダペストからの長距離バスの停車もありません。
そのため、ケストヘイかタポルツァからバスでアクセスすることになりますが、アクセスの詳細については後半で改めて解説します。
牧歌的な景色の広がる小さな村、シャルフェルド村
シャルフェルド村に限らず、バラトン地域(特に北岸側)では上記の写真のような伝統的な白壁の家がよく見られます。
白壁の家というと、ギリシャのサントリーニ島やスペイン南部のアンダルシア地方のイメージが先行しがちですが、ハンガリー西部の白壁の家も趣があります。
この白壁の家、単に白いだけではありません。
壁をよく見ると、そこには様々な模様があり、まるでタペストリーのようでかわいいです。
シャルフェルド村のとある通りの写真ですが、通り沿いには先ほど紹介したような白壁の家が建っています。
屋根の部分をよく見てみると茅葺屋根になっていますね。
日本の合掌造りと地中海の白壁の家を足して2で割ったような見た目で、ハンガリーの白壁の家ならではのかわいさがありますね。
ちなみに写真に写っている通りを通るのは車両だけではありません。
シャルフェルド村では馬車がなお現役です。(とは言え最後に確認したのは2018年ですが....)
筆者は乗っていないので用途の詳細は分かりませんが、少なくとも観光用途ではなさそうに見えました。
写真の馬車はそのまま村の中心部へと向かったわけですが、これで先ほどの通りの写真の真ん中に写っていた茶色いものの正体をお察しいただけるかと思います(笑)。
馬もいれば牛もいます。
写真は村の中心部からあまり離れていない某所ですが、この通り牛が寛いでいます。
このように家畜が至るところで緑の上で寛いでいるところに、さすがはハンガリーの原風景だなとというところです。
さて、森に入る前に村の玄関口になっている教会をご案内しましょう。
セント・マーテー教会(Szent Máté templom)です。
この教会に限らず、バラトン地域で見られる教会は白い素朴な教会がよく見られます。
余談ではありますが、バラトン地域のハイカーたちはよく村の教会を起点にハイキングすることが多く、筆者もその内の1人だったりします。
それではこの教会を起点に森に分け入ってみましょう。
シャルフェルドの森に眠る教会の廃墟
撮影当時は春先だったので遠くからでも修道院の廃墟がよく見えました。
夏になると緑に覆われてこれまた神秘的な光景になることでしょう。
それはさておき、この場所はパーロシュ・コロシュトール・ロミャイ(パーロシュ修道院跡、Pálos kolostor romjai)と言います。
村の玄関口のセント・マーテー教会からは30分~40分程度のハイキングで、高低差はあまりないので快適なコースです。
この修道院について明らかになっていることはあまり多くはありませんが、13世紀に当時のヴェスプレーム地方(バラトン北東岸側)の領主に言及されているのでその頃までには完成していました。
廃墟となった今では察しがたいですが、辛うじてほぼ全て残った外壁を見ると決して小規模ではなかったことが伺えます。
15世紀ごろまでには改築がなされたそうですが、なぜ写真のような末路を辿ったのでしょうか?
歴史を振り返るとハンガリーは一時期オスマン帝国の統治下に入っていたわけですが、その前に14世紀から16世紀にかけてオスマン軍による征服戦争がハンガリーで繰り広げられていました。
バラトン地域もセィグリゲットやターティカ(現ザラサーントー)に代表されるように各所で激戦が繰り広げられ、この修道院もほぼ同時期に放棄されたと考えられています。
この戦争の結果としてオスマン帝国によるハンガリー統治が開始され、パーロシュ修道院は放棄されたまま再建されることなく森に眠ることとなりました。
シャルフェルド村へのアクセス
意外なことになんとケストヘイから行く場合はどこかしらで必ず乗り継ぎが必要です。
ケストヘイからの行き方は2通りあります。
- ①ケストヘイからアーブラハムへジ駅まで1735系統又は1808系統、その後タポルツァ行(7709系統)へ乗り換え
- ②ケストヘイからタポルツァまで鉄道で移動、タポルツァから7709系統バスへ乗り換え
①の場合、バスの乗車時間そのものは50分程度ですが、乗り継ぎ時間が最大1時間半に及ぶため、乗り継ぎ待ちのついでにアーブラハムへジの観光もできます。
この場合の運賃は合計1060フォリント程度と見積もっておきましょう。
②は少々遠回りになりますが、接続が一番スムーズなルートです。
タポルツァからバスターミナルまでは10分少々歩きますが、接続時間は30分あるので丁度いいです。
また、7709系統はタポルツァ始発なので、発車時間前に車内でゆっくりスタンバイできる点も侮れません。
②の場合の運賃は鉄道区間で550フォリント、バス区間で650フォリントの合計1200フォリント程度と見積もりましょう。
なお、タポルツァからアクセスする場合は7709系統バスに乗ればそれでダイレクトにアクセスできます!
牧歌的な景色と歴史が刻まれた修道院跡が森に眠るシャルフェルド村
牧歌的な景色が広がるシャルフェルド村でしたが、森に分け入ってみるとそこには壮絶な歴史が刻まれた修道院の廃墟が眠っていました。
修道院の廃墟からオスマン帝国がハンガリーを統治するまでに至る歴史が見えてくるとは驚きでしたね。
修道院は戦争と共に廃墟になってしまいましたが、皮肉にもオスマン統治に入ったことでハンガリーの温泉文化が本格的に開花したという側面もあるところに歴史の流れというものを感じさせられます。
バラトン周辺観光の際にぜひ、シャルフェルド村でのんびりしつつ、森の中で修道院の廃墟から歴史のロマンを感じてみませんか?